にじ

成長

AYAKAちゃんの出会い

 ここで仲間の書くのは恥ずかしいですが、私とAYAKAちゃんが知り合って24日で5ヶ月が経ちました。まだ5ヶ月です。

 12月24日にメッセージのやり取りが始まりました。今思えば、私にとってAYAKAちゃんとの出会いは病気になってから最高のクリスマスプレゼントだったと思います。

 顔合わせができたのが約1ケ月半前。5ヶ月前のそのずっと前からAYAKAちゃんのInstagramはフォローしていて、入院を繰り返していたり、ほとんど入院していることも知っていました。そのInstagramの写真からきっとそんなに遠くには住んでないんだろうなとも思っていました。病院名が載っていたこともあり、私も以前お世話になっていた病院だったからです。きっと若い子なんだろうなとも思い、そっと見守ってましたが、入院中に倒れたとの投稿があり、無意識にDMを送っていました。それが出会いです。

 

私のこと

 案の定、私との歳の差は一回り以上年下でした。そして、偶然にも妹と同じ学年。私は22歳から一人暮らしを始めているので、末っ子の妹の成長は小学校低学年までしか知りません。私は昭和のゆとり教育になる前の生まれ、末っ子はH10年生まれです。流行りも違えば、教育法も、親の育て方も違いました。今思うと悪いことをしたなと思いますが、私は末っ子のことをどうしても可愛がれませんでした。思春期真っ只中で、親に伝えたいことも伝えられず、私は妹や親の責任にし、家族に心を閉ざしてしまいました。私はずっと長女だったので、姉が欲しかった。妹ばかりいらないとさえ思ってました。でもAYAKAちゃんは、妹のように可愛くて仕方ありません。実の妹たちにもこうやって接してあげられていたら、違った人生を送られていたのかもしれません。

 

入院中

 私たちは出会ってから、ほぼ毎日のように連絡を取り合っています。それくらい仲良くなりました。初めはクリスマスプレゼントとして、パラコードを編み、病院に郵送しました。そのパラコードを未だに車椅子に付けてくれています。それを見るたびに、優しい子だなと思います。その後は、サプライズで正月に病院宛てにAmazonを通してプレゼント。そして、顔を見たことなく、コロナで面会もできない中、病院に荷物を届けに3回行ったり、など色々ありました。入院中もLINEをしたり、電話をしたりと。

 

AYAKAちゃんの成長

 4月8日に退院してきてくれて、近々会えると分かった時は密かに泣きました。4月17日に、AYAKAちゃんの住所をナビで検索して、マンションに行きました。顔を合わせても違和感なし。車内ではずっと喋って、そして家に到着。普段は車椅子生活で、私の家は2階。どうやって部屋まで行くかも事前に相談していました。結局毛布2枚を階段に敷いて這って登ってもらって、1枚上り終えたら、先回りして下の毛布を上に敷いてで2階へ上がってもらいました。そして階段を上がった後も部屋は一番奥なので、結構歩かなければなりません。でも歩けていました。それにびっくりしました。病院で歩くリハビリをかなりやったそうです。帰りは逆で下りました。そして、出会った記念にプリクラを撮りました。十数年ぶり・・・。使い方なんてさっぱり・・・。そこはやっぱり若いAYAKAちゃんしか操作できず。私の時代はプリント倶楽部から始まり、学生時代が全盛期だったなぁ・・・と。

 その日から、ほとんど水曜と日曜は、一緒に過ごしています。2回目に家に来て帰り際、なんか階段下りれそうな気がすると、手すりを持って一段一段、自らの足で下りきりました3回目には、上りも自らの足で上りました。訪問看護さんと階段を上る練習していたみたいです。

 そして、フェスの頃には歩いて作業をすることが増え、USJに一緒に行った時もアトラクションへの移乗は軽く支えてはいたもののほぼ自力ででき、5月22日のおまつりの際には、トイレまで300mはあろうかという距離を往復して歩いてました。私はてっきり近いトイレに行ったのかと思っていたのですが、設備がいいトイレを選んだということを後から聞きました。終わる前に私のそのトイレまで行ってみましたが、私は貧血で血の気が引きそうでした。

 それだけの距離を歩けるようになり、階段の上がれるようになった期間が短すぎてすごいことだと思います。普段、車椅子生活だと聞いていたのに、コンビニやスーパーでも徒歩になり、外食するところが2階でも階段を上り下りして、車椅子はAYAKAちゃんの家から離れると、ほとんど私の車でお留守番。車椅子より沢山自力で歩く方が体力がいると思います。でも、自らの足で歩こうとしているAYAKAちゃんをみていると感心させられます

 フェスの時は、周りから心配されているくらい大人しすぎるAYAKAちゃんでした。USJに行った時も人に声をかけるのが苦手だと教えてくれました。でも、でも、おまつりでは自ら声を出して呼び込みや接客をこなしていました。すごい成長だと思いませんか?人って短期間でここまで成長できるんだとびっくりします。

 何より、退院してからイベントがあったら、疲れたら眠くてよく寝ているのはお互い様ですが、大きな体調変化なく過ごせていることは凄いこと。目標があるって素晴らしいことだなと思いました。

 

お泊り

 イベントに2回参加して、その前後はお泊りに来てくれています。イベント当日の朝が早くて、終わったら疲れ切っているからです。普段使っているようなベッドではないけど大丈夫かと心配しましたが、いつもぐっすり寝てるみたいなので安心しています。私は睡眠障害が酷く、なかなか寝付けず、早く起きてしまうため、AYAKAちゃんにベッドで寝てもらい、私はいつもゴロゴロお昼寝するリビングで、扉を閉めてお互い好きな時間だけ睡眠がとれるようにしています。

 一応、調子悪くなったりなど、何かあれば叩き起こしてとは伝えてあります。起こされたことはないです。

 ちゃんと、血糖が低くなったら、何か食べるものありますか?と聞いてくれるので、ありがたいです。しっかり伝えることができるようになったのも成長ですね。

 イベントのお昼ごはんは、お弁当と言っても、ほとんど冷凍食品で卵焼きだけ手作り。それを美味しいと言って食べてくれて、朝ごはんも簡単なものしか用意できないけど、美味しいと食べてくれます。ちゃんとした料理ができるように私もリハビリ頑張らないとね。

 

私の変化

 ちょっと今年に入ってから、身体の異変は感じています。食欲低下が半端ないです。普段は栄養剤だけど、AYAKAちゃんといると、普通に食事ができます。なぜだろう?

 何よりもAYAKAちゃんのお陰で、私の精神状態がかなり落ち着いています。まだまだ家事の一部や部屋の片づけは、病気の影響でできません。ヘルパーさんや訪問看護さんの力を借りて生活しています。でも、こんなにも希死念慮が低い期間が続いていること、そして自分から人と関わりを持とうとするようになったこと前向きに考えようと努力することなど、変化してきています。これも病気回復に向けて一歩一歩踏み出せてるということなんだと思います。ずっとずっと焦ってきたけど、今年になっていつかは治してみせるに変わりました。

 もし、環境の変化があれば、悪化するのは目に見えているので、主治医の先生は今完治は考えておられません。この数年で大きな変化が必ず訪れるのがわかっているから。もし自分が結婚して妊娠したとしても産前産後うつになる、それよりも大切な人が亡くなったら・・・。下手したら、自殺し兼ねない・・・(その可能性の時の入院は認めたくなかったけど、主治医と約束しました)。それを心配してある程度の回復を目指して今は過ごしています。

 

2人共々

 これからも成長して、人との繋がりを大切に、社会に出ようとしています。その一環で、ハンドメイドショップも立ち上げました。助けが必要な時は、助けてください

 でもできることはゆっくりでもしますので、温かく見守って頂けると幸いです。

 よろしくお願いします。

援助の手助けになるハンドメイドグッズ専門店 | hiromi's home

にじ

hiromi's homeでは誰かの手助けになれるようなハンドメイドグッズを販売しております。高齢者、子ども、障がいを持った方、療育が必要なお子さんに使っていただきたい対処法のキーホルダーやヘルプカード、パラコードを使ったチャームや一越ちりめんの髪飾りなど、健康な方でも周りの方へのサポートを伝えられるようなアイテム等も取り扱っております。

屋号 hiromi's home
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定休日 不定休(体調が悪い場合はお休みをさせていただいております)
代表者名 坂元 弘美
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